第11章
山と仕事と中野功
今の社員の中には、社会的に日本がどうとか国際的にどうとかいうのはあまり関心ない人もいます。基本的には楽して金がもらえて生活できればいいと思ってる。でもそれをかなえるには、いろんなことを知識として持っていないといけないと思うんですよね。
僕はテレビも映画も見ますけど、いろいろなニュースで政治経済、国際関係にすごく興味があって見てますね。ですから、わりと知っているつもりだし、どうなっていくかなって想像を続けてると、当たることがあるんです。そういうのは、山で培われたような気がするんだよな。山では失敗や何かを忘れたとかが命の危険につながります。装備を準備するのでも、ものすごく状況を想像したり調べたりして道具や衣服を選ぶんですよ。山は持っていける総重量が限られていますからね。
仕事でも、これを失敗するととんでもないなということがあるじゃないですか。例えばトラックでも相当借金しましたから。そのときは、どれくらいで返済しようということをきちんと計算して計画していました。人が見ると無鉄砲に見えるかもしれないけど、きちんと下調べしてやってるからできるんです。
お前は泥の橋でも渡る、と言われたこともありました。トラックを始めたとき、長岡中の自動車屋が「あ、これでナカノオートつぶれるな」と思いましたから。でも、僕は他の人がやらないことをやりたいし、石橋はたたいて渡る方なんですよ。充分な計画と準備があるから、ここぞというときに勝負の一手が打てるんです。
今ある自動車メーカーは、今後、トラックも含めておそらく3つくらいに集約すると思います。ユーザーの数、免許人口も変わっていきますから、うちの業界も相当変わると思いますよ。だからアンテナを伸ばして、情報収集していかないと。情報収集したことを考えて実行していくには、社員の成長がどうしても必要ですよね。そして、それがうまくいったら、社員に分配していく。それが大切です。
競争社会ですから、オンリーワン経営を貫いて、他社と比較する必要ないと思います。自分たちだけの価値を探して磨いていく。ライバルは去年の自分たちです。少しずつでも確実に成長してね。うちは1人あたりの生産性がすごくいいんです。それはやっぱり、社員を大切にしてきたからですね。
僕は運がすごくいいんですよ。山でも、危ない目にあったけど間一髪逃れたということが何回かあるんです。商売でも素晴らしい人たちに巡り合えました。トラック市の白石会長をはじめ、トラック市の同志。そして何よりも社員のみんな。いい人と巡り合えたなと思うね。
3年前までトラック市の同志会の会長をやらせてもらって、2年間いい時間を過ごさせてもらいました。トラックというのは、終戦直後から整備をやっていたというような歴史のある会員さんが多いんです。そういう人たちの中で会長という名誉ある仕事をさせていただいたのは、ありがたかったですね。
仕事については、僕は山にのめりこんで遠回りしたのを取り返そうと頑張っただけでね。そのことが、今日に至ったんだろうと思います。
苦しいことがいっぱいあったけど、やっぱり社長業というのは社員にはわからない面白さがありますよ。その会社においては最高責任者であり最高権力者じゃないですか。自分の思い定めた方法で、行くべき方向に向かって成果を出す。これは社長にしか味わえないことじゃないですか。それで優秀な数字が残せれば、将軍としての能力が高いと自分で思える。面白いですよ。